第百十六次製造貨幣大試験の際に記念品として製作されたのが、「牡丹図」七宝入文鎮になります。
牡丹図の図柄は、大覚寺宸殿、牡丹の間に描かれる金碧の襖絵より近接した牡丹が採り入れられました。
「牡丹図」七宝入文鎮の仕様や図柄、彩色、デザインについて写真と共に記載いたしましたので、お時間あればご拝読お願い申し上げます。
「牡丹図」七宝入文鎮 製品仕様
以下、付属の栞には以下のような文言が書かれています。
京狩野派の始祖、狩野山楽
狩野山楽と言えば、本作でも採用された「牡丹図襖」が有名でありますが、他にも同じく大覚寺の襖絵である「松鷹図襖」「紅梅図襖」も代表作と言えるでしょう。
※「松鷹図」は、二条城の障壁画も重要文化財として知られますが、近年、こちらも狩野山楽による作品とする説があがっております。(これまでは狩野探幽とする説が有力でした)
狩野山楽の出自は、元は武家一族として近江国・浅井長政の家臣の親を持つと言われます。浅井長政が織田信長に滅ぼされた後、長浜城の城主となった羽柴秀吉に仕えますが、その画才を認められ狩野永徳の門下に入り、後に養子となり狩野性を名乗り山楽と名を改めます。山楽は、養父である永徳が生み出す豪壮優雅な作風を引継ぎ、秀吉、秀頼の命により御用絵師として大阪城の障壁画(現在は消失)など数多くの作品を手がけました。
豊臣家が大阪夏の陣で滅んだ後は、豊臣方の残党狩りの標的とされますが身を隠し難を逃れます。その後、ゆかりのある方々からの支援もあり、徳川家康に拝謁し助命。弟子の狩野山雪らと共に京都に留まって活動し、徳川秀忠の代では恩赦を受け、幕府の仕事を受けるようになりました。
室町時代後期より始まる幕府御用絵師の狩野派は、狩野正信からその子・元信へ、さらにその孫である永徳から山楽へ、幕末に至る約400年の御用絵師として多くの障壁画・屏風などの傑作を世に残しました。
「牡丹図」七宝入文鎮の図柄
作品仕様の通り、狩野山楽による「牡丹襖絵」より一部分を採用されております。「牡丹襖絵」では、モチーフである牡丹の群生をほぼ真横から描かれるものですが、蕾や開花、満開の様子のそれぞれが見られます。本作では、八分咲きに蕾を背面に柔らかな牡丹の花が美しく彩られておりました。
また、全面に牡丹の花、背面に生い茂る葉を重ねることで奥行きが感じられ、浮き彫りの七宝と共に立体感のある作品になっております。
なお、背景に彫られた格子の柄も実際の牡丹図襖に見られるものであったりします。総金地に見える背景のうっすらと描かれる金雲までは表現されないまでも原図に忠実な面が垣間見れると思いました。
「牡丹図」七宝入文鎮の採色
七宝は、桃淡、白、深緑、オリーブの四色になります。
牡丹の花弁の色付き具合を桃色から淡く白色に向かっていく色使いが綺麗ですね。葉の二色は、表と裏面の違いかと思われますが、花咲く牡丹が印象的です。
決して色の種類は多くありませんが、牡丹の優雅な気品をよく表現されております。
背面
背面および側面は、金メッキ艶消し仕上げをされています。また、背面には「造幣局製」の文字が刻まれています。
化粧箱
化粧箱は、外装がベロア生地、内装がベロアとサテン生地の一般的なものになります。
フリマサイト、オークション等での実売価格
日付 | 取引価格 |
---|---|
2022/10 | 10,000円 |
2022/04 | 12,500円 |
2021/06 | 8,250円 |
2017/06 | 8,000円 |
2016/08 | 6,000円 |
直近で確認できたところはこの5件でした。
かなり古い品で、製造数も限られていたと思います。なかなかお目にすることがかないませんが、入手してみたくなる一品かと思います。
以上、今回はこの辺りで終わりにしたいと思います。ご拝読ありがとうございました。(管理人)